歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

桃配山の伝説と壬申の乱

慶長五年(1600)9月15日の早朝、天下分け目の合戦に臨んだ徳川家康は、関ヶ原の東端に位置する「桃配山」に本陣を置きました。そこは、関ヶ原を一望のもとに見渡すことができる高台で、家康が東軍の指揮を執るのに絶好の場所であったのです。さらに桃配山は…

関ヶ原の合戦で家康が桃配山に本陣を置いたのは何故か?

慶長五年(1600)九月十五日、関ヶ原で天下分け目の大合戦が起こりました。この時、東軍を率いる徳川家康が本陣を置いたのは、桃配山と呼ばれる山の中腹でした。桃配山は関ヶ原の東端に位置し、眺望がきく高台で関ヶ原での戦況をつぶさに見ることができる場…

日本の歴史を変えた武士 梶原景時

治承四年(1180)八月十七日、源頼朝は打倒平氏を掲げ伊豆で挙兵しました。頼朝の軍勢は伊豆国の目代である山木兼隆の館を襲撃し首尾よく兼隆を討ち取りました。その後、頼朝は伊豆・相模の軍勢三百騎を率いて相模国土肥郷へ向かい、石橋山に陣を構えて衣笠…

創業は江戸時代 多摩の酒蔵で癒される

ふと思いついて、蔵元を訪ねてみることにしました。蔵元と言えば、秋田や山形や新潟など北国の米どころにあると思いがちですが、実は、東京近郊にも歴史ある蔵元がいくつもあるのです。 今回、私が訪れたのは福生にある蔵元で、多摩の銘酒「多摩自慢」を製造…

江戸の行楽地「深川」を散歩する

知り合いの人に誘われて阪急交通社が企画した「深川史跡巡り」に参加しました。江戸時代の面影が残る深川の町をガイドさんの案内で散策する街歩きです。 案内役は、自称「江戸町人」の素敵な女性ガイドさんです。ガイドさんの豊富な知識とわかりやすい説明を…

歴史上初の武家政権を樹立したのは平清盛?それとも源頼朝?

◆武士の時代の幕開け 鎌倉時代に書かれた歴史書「愚管抄」のなかで著者の慈円は次のように述べています。「保元元年七月二日鳥羽院うせさせ給いて後、日本国の乱逆と云うことは起りて後、武者の世になりにけるなり。」 慈円は「鳥羽上皇がお亡くなりになって…

頼朝の実像  歴史的合戦の勝利はなくとも政治家として武家の世を開いた武将   

◆頼朝の人気は? 源頼朝は平氏を倒して鎌倉幕府を開き、武家政権の礎を築き上げた英雄です。頼朝は日本人の誰もが知っている歴史上の偉大な人物ですが、戦国時代の英雄である織田信長や豊臣秀吉に比べると人気の点ではかなり劣っているような気がします。 頼…

関東の戦国武将たち 太田道灌の子孫 太田康資(やすすけ)

文明十八年(1486年)七月二十六日、太田道灌は相模国にある扇谷氏の本拠地糟屋館で扇谷定正によって暗殺されました。この時、道灌の嫡子資康は江戸城にいましたが、父が殺されたとの知らせを受けて江戸城を脱出し甲斐へ逃れました。その後、資康は山内上杉…

関東の戦国 上杉憲政の越後逃亡と室町時代の終焉

天文十五年(1546年)四月、北条氏康は河越夜合戦において関東管領上杉憲政と古河公方足利晴氏の率いた八万五千騎の大軍勢と戦い、わずか十分の一の戦力でこれを打ち破りました。この関東戦国時代の歴史に残る奇跡的な大勝利は、北条氏康の立場を一気に飛躍…

関東の戦国 河越夜合戦と福島綱成・勝広兄弟の活躍

天文十五年(1546年)四月、関東の戦国史に残る大きな合戦が起きました。総勢十万人に近い軍勢が戦った大合戦です。この合戦は河越夜合戦と呼ばれています。もしも、関東の戦国時代が日本史の本流になっていれば、この合戦は桶狭間の合戦や長篠の合戦と同じ…

関東の戦国 鉄砲伝来以前、最強の戦国武将は北条氏綱

関東の戦国時代は、明応二年(1493年)に伊勢宗瑞が伊豆の堀越公方足利茶々丸を襲撃したことから始まりました。宗瑞が堀越公方を襲撃したのは、同じ年に京都で細川政元が起こした明応の政変というクーデターと連動した「かたき討ち」でした。このかたき討ち…

関東の戦国 北条氏綱の侵略を正当化させてしまった関東足利氏の争い「下総国相模台合戦」

天文六年(1537年)七月、北条氏綱は扇谷朝定の本拠地である河越城を攻略しました。翌天文七年二月に氏綱は、扇谷家の家臣大石氏が守る葛西城(東京都葛飾区)を落城させ、さらに太田資正の居城である岩付城(さいたま市岩槻区)を攻撃し城の周辺を焼き討ち…

関東の戦国 北条氏綱の武蔵国制覇と扇谷上杉氏の滅亡

天文六年(1537年)四月、扇谷朝興が河越城で病死しました。朝興は北条氏綱に江戸城を奪われた屈辱を晴らすため、その生涯を氏綱を倒すことに費やしたのですが、つにに氏綱を倒すことは叶わず、鬼籍に入ったのでした。 朝興の死後、扇谷上杉家の家督を継いだ…

関東の戦国 北条氏綱包囲網

大永四年(1524年)正月、江戸城を奪取した北条氏綱は、瞬く間に武蔵国を席捲し岩付城、蕨城、入間郡の毛呂城、石戸城など扇谷勢の城を次々と攻略していきました。 北条氏綱に一方的に押されていた扇谷朝興は、上杉憲房や甲斐の武田信虎と連携して態勢の立て…

関東の戦国 戦国武将と化した関東足利氏

大永四年(1524年)正月北条氏綱は扇谷朝良の居城である江戸城を急襲し、城を奪い取りました。敗れた扇谷朝良は、武蔵国の河越城へ退き上野国の上杉憲房や甲斐国の武田信虎と手を結び態勢の立て直しを図っていました。 上野国の平井城を居城とする関東管領上…

関東の戦国 北条氏綱の江戸城攻略

関東の名門武家上杉氏の先祖は、もともと京都の公家でした。鎌倉時代の中頃、上杉氏の先祖は皇族初の将軍となった宗尊親王に従って鎌倉に下向し武家となったのです。このとき、上杉重房は丹波国上杉庄を領地として賜り、その土地の名にちなんで上杉氏を名乗…

関東の戦国 長尾為景の下克上と上杉顕定の死

関東の戦国時代は山内上杉と扇谷上杉の覇権争いで幕を開けました。この争いは17年間続きましたが、永正二年(1505年)に扇谷朝良が降伏したことでようやく決着しました。両上杉の争いに勝利したのは関東管領上杉顕定でしたが、長い戦いで両上杉とも疲弊し関…

関東の戦国 山内上杉と扇谷上杉の覇権争い

室町時代に関東管領を代々世襲してきた山内上杉家は関東公方の執権として上野、越後など広大な領国を持ち関東に勢力を広げていました。しかし、享徳三年(1454年)に享徳の乱が始まると、太田道灌が家宰を務める扇谷上杉家が次第に勢力を拡大し山内上杉家に…

将軍足利義輝を死に追い込んだのは誰か

永禄8年(1565年)5月将軍足利義輝は三好義継と松永久通によって暗殺されました。歴史上在任中の将軍が暗殺されたのは義輝を含めて3人です。3代鎌倉将軍源実朝(頼朝の二男)は甥の公暁(くぎょう)によって暗殺されました。また6代室町将軍足利義教は播磨国…

信長がくる前の京都 三好長慶の天下

明応2年(1493)細川政元が起こした「明応の政変」こそは、日本を戦国時代に突入させた真の引き金でした。政元は京都でクーデターを起こし、将軍の首をすげ替えたのです。将軍の首をすげ替えることさえ可能な細川京兆家の絶大な権力を巡り、政元の3人の養子…

信長が来る前の京都 何故麒麟はいなくなったのか

戦国時代は、歴史に興味を持つ者にとって最も関心の深い時代だと思います。私たちは、織田信長や武田信玄あるいは上杉謙信など戦国武将たちの活躍を通して戦国時代の歴史を知ることになるのです。彼らは、尾張、甲斐、越後などまず地方を制してから京都へ上…

関東の戦国 北条早雲の伊豆侵略はかたき討ちのためだった

関東の戦国時代の幕開けは、北条早雲による伊豆侵略です。これは、一介の浪人であった伊勢新九郎が駿河の今川家の食客となり堀国公方茶々丸を追放して伊豆一国を手に入れた出世物語であり、戦国時代の下克上の代表例として捉えられてきました。ところが、近…

太田道灌 戦国時代前夜を鮮やかに駆け抜けた悲運の名将 後編ー当方滅亡

◆関東管領方の内情 1477年5月利根川東岸へ逃れていた関東管領上杉顕定は、太田道灌に守られて五十子陣へ帰還した。このとき享徳の乱が始まって既に23年もの歳月が流れていたが、その間に関東管領方の顔ぶれは大きく様変わりしていた。享徳の乱は、1454年に関…

戦国末期に徳川家康と手を結んだオランダとはどんな国だったか

7月5日に放送された「NHKスペシャル 戦国 激動の世界と日本(2)徳川家康×オランダ」は非常に見応えのある番組でした。徳川家康の天下取りを陰で支えていたのがオランダであり、対する豊臣家にはスペインが肩入れしていたということを私は初めて知りとて…

太田道灌 戦国時代前夜を鮮やかに駆け抜けた悲運の名将 中編ー名将道灌

◆堀越公方の登場 1458年室町幕府の八代将軍足利義政は、弟の足利政知を関東へ派遣した。室町幕府は足利政知を新たな鎌倉公方として就任させ、古河公方足利成氏に対抗させようとしたのだ。しかし、足利政知は鎌倉入りを果たすことができなかった。そのころ、…

太田道灌 戦国時代前夜を鮮やかに駆け抜けた悲運の名将 前編ー江戸城築城

東京都千代田区丸の内にある東京国際フォーラムは、ガラス張りの外観と船の竜骨をイメージしたデザインが印象的なビルである。この現代的なビルの一角に、古式ゆかしい狩装束に身を包んだ武人の像が置かれている。武人の名は太田道灌。徳川家康に先駆けるこ…

感謝 アクセス数が一万件を突破しました!

歴史楽者のひとりごとをご覧のみなさまへ 昨夜当ブログのアクセス数が一万件を突破しました。 一年九か月前に始めたブログですが、私が考えていたよりもはるかに多くの方々からアクセスを頂き、本当に感謝しております。ありがとうございます。 今は長い自粛…

一杯の日本酒から辿る歴史 佐竹氏

安倍政権は緊急事態宣言を出しましたが、新型コロナウィルスの猛威は一向に衰える気配をみせません。そのおかげで私たちは不要不急の外出を控え、家にこもる日々が続いています。おかげで、本を読む機会はずいぶん増えましたが、それでも時間はあり余るほど…

戦国大名を生み出した足利義満の政策

室町幕府の3代将軍足利義満は室町幕府の全盛期を築き上げましたが、しっかりとした後継者を育てることなく急死してしまいました。義満の跡を継いだ凡庸な息子たちは歴史の大転換点において足利将軍家の繁栄を継続するための未来設計図を持ち合わせておらず、…

室町時代を戦国時代へと向かわせた歴史的大転換点 足利義満の死

1.いまは歴史の大転換点 日本はいま新型コロナウイルスの猛威にさらされ非常に困難な時代を迎えています。ほんの数か月前まで日本の未来は希望に満ちあふれているような気がしていました。インバウンドによる好景気、平成から令和の改元と新天皇のご即位に…