歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

関東の戦国武将たち 太田道灌の子孫 太田康資(やすすけ)

 文明十八年(1486年)七月二十六日、太田道灌相模国にある扇谷氏の本拠地糟屋館で扇谷定正によって暗殺されました。この時、道灌の嫡子資康は江戸城にいましたが、父が殺されたとの知らせを受けて江戸城を脱出し甲斐へ逃れました。その後、資康は山内上杉顕定を頼りました。実は、道灌暗殺を扇谷定正にそそのかしたのは上杉顕定であったのですが、当時の資康はその事実を知ることもなく父に手を下した定正を恨み続けたのです。

 資康の死後、息子の資高は何故か扇谷定正と和解し、扇谷家の宿老となり江戸城城代をつとめていました。このころになると山内上杉氏と扇谷上杉氏は激しく争うようになっていたので、その過程で道灌暗殺の真相が明らかになっていたのかもしれません。いずれにしても扇谷家に仕えていた太田資高の胸中は複雑であったと思います。

 大永四年(1524年)正月、太田資高は扇谷氏を裏切り相模の北条氏綱に内通しました。この資高の寝返りは北条氏綱が扇谷氏から江戸城を奪い取った一因になったのです。それ以来、資高は北条家の家臣となり厚遇されていたのです。

 その厚遇は、息子康資の代になっても続いていました。康資は江戸城主である遠山丹波守直景の婿となっていたのです。太田康資は身の丈が六尺以上あり筋骨隆々の大男で怪力の持ち主でした。戦場では馬上で八尺余りの鉄棒を振り回し、敵を次々になぎ倒し常に高名をあげていました。そのため、康資は北条氏康からも厚い信頼を受け、氏康の諱の一字を与えられていました。

 しかし、康資は自分の境遇に満足していなかったのです。江戸城は自分の曽祖父道灌が築いた城です。その城で北条の家臣である遠山氏に仕える身分であることは、康資にとって耐えがたい屈辱であったのでしょう。いつしか康資は、北条氏を裏切り江戸城を乗っ取るという野望を胸中に膨らませるようになっていたのです。やがて、康資は太田家の分家である岩付太田氏の太田資正と内密に連絡をとりあい、江戸城を奪う策略を練り始めていたのです。

 ちょうどそのころ、関東管領上杉憲政は越後へ逃亡し、憲政から上杉家の家督関東管領職を受け継いだ長尾景虎が、上杉謙信と名を改めて関東へ侵攻するようになっていました。永禄六年、上杉謙信は武田・北条連合軍と戦うため上野へ軍勢を進めてきました。太田資正は、上杉謙信の味方につき、同じく謙信の味方についていた安房の里見義堯・義弘親子と合流し下総国府台城に陣を構えていました。里見・太田の軍勢は謙信に呼応して北条方の後方を攪乱しようとしたのです。

 この時、太田康資は北条を裏切り里見・太田の軍勢に加わったのです。康資の裏切りは北条方にとっては大きな痛手だったようで、里見・太田が攻撃している葛西城に敵方が紛れ込まないように雑兵や小者の身元をしっかり改めるように命令が出たということです。

 国府台合戦の序盤は、太田康資の寝返りもあって里見・太田連合軍は優位に立ちました。しかし、北条軍は巻き返してきました。北条氏康の嫡男氏政とその弟氏照は大軍勢を率いて西下総へ向かい中山法華経寺に本陣を構えて敵を包囲したのです。国府台合戦が始まってからおよそ二か月後の永禄七年二月中旬、北条方は総攻撃をしかけ里見・太田連合軍は敗走しました。

 敗れた里見義弘は、北条勢の追撃をなんとか切り抜け上総へ逃れました。太田資正は無事に岩付城へ戻れたのですが、永禄七年七月に息子の氏資から裏切られ城を追われて常陸佐竹義重を頼りました。この時から資正は、太田三楽斎と名乗るようになったのです。息子の太田氏資は、北条氏康の味方につく道を選びました。関東の戦国時代後半は、北条と上杉の戦いを軸に展開するので、武将たちは自分の置かれた状況が変化するたびに北条につくか、上杉につくか常に選択を迫られたのです。

 今回の主役である太田康資は、上総へ逃げ込み小田喜城の正木氏に庇護されました。康資は、この地で里見氏の客将となっていましたが、天正九年(1581年)に里見氏の内乱に巻き込まれ自害しました。息子の資綱は、里見氏のもとを逃れ一時は常陸の佐竹氏を頼っていました。天正十八年(1590年)、関東の覇者北条氏は天下人豊臣秀吉に敗れついに滅亡しました。その後関東を治めることになったのは徳川家康です。そして、太田資綱は新たな関東の支配者である徳川家康に仕えるようになったのです。

 戦国時代前夜に江戸城を築城した名将太田道灌の子孫は、戦国時代末期に江戸城を本拠地として天下取りに乗り出した徳川家康の家来になったのです。なんとも不思議な歴史の巡り合わせでした。

 

今回参考にした文献

 

関東古戦録 槙島昭武 著 久保田順一訳 あかぎ出版

 

関東戦国史(全) 千野原靖方 崙書房出版

 

図説 太田道灌 黒田基樹 戎光祥出版