歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

鎌倉公方がNHK大河ドラマの主人公になれない訳

鎌倉公方とはいったいどんな存在であったのか、私は好奇心に駆られてその実像を調べました。おもしろいことに、鎌倉公方の歴史を調べることは、関東の視点から室町時代を考えるということにつながっていきました。さらに、想定外の非常事態に直面したことが…

徳川家康が最も恐れた刀 妖刀村正

皆さんは「妖刀村正」をご存じでしょうか。刀女子や刀大好きなオジサンなら知っていてあたりまえですが、歴史は好きだけど日本刀はあまり興味ないという方も是非ご一読下さい。 日本刀には数々の名刀があり、今日でも歴史に縁のある名刀が博物館に所蔵されて…

東の将軍 鎌倉公方 その10-足利持氏 室町将軍に挑み死す

上杉禅秀の乱終結後の関東 1417年1月上杉禅秀の乱は終結しました。無事に鎌倉へ戻ることのできた足利持氏は、反乱に加担した者たちへの討伐に着手しました。この年持氏は、上野国の岩松満純、甲斐国の武田信満を討伐しました。彼らは上杉禅秀の乱に加担した…

東の将軍 鎌倉公方 その9ー 上杉禅秀の乱

満兼の死後、その跡を継いで四代鎌倉公方に就いたのは満兼の嫡男幸王丸でした。関東足利家は初代鎌倉公方基氏の尽力によって関東を平定し、その後二代氏満、三代満兼と安定した政権を確立し関東を支配してきました。ところが、四代幸王丸(元服後は持氏)が鎌…

東の将軍 鎌倉公方 その8ー 井の中の蛙だった足利満兼

1398年足利氏満は、病で亡くなりました。享年40才です。両上杉の管領に支えられた氏満は、関東の支配体制を充実させ、鎌倉公方を関東の将軍ともいえる立場へ押し上げたのです。氏満の跡を継ぎ三代鎌倉公方の座に就いたのは、氏満の嫡男である満兼でした。初…