歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

太田道灌は何故暗殺されたのか

前回説明したように、太田道灌が暗殺されたのは、扇谷家の台頭を懸念した関東管領上杉顕定が、扇谷家の勢力を弱体化させるために、扇谷家の要である太田道灌を排除しようとした陰謀によるものでした。 しかし、顕定が道灌暗殺を企てた動機は他にもあると考え…

太田道灌の最期 当方滅亡

文明十七年十月(1485年)太田道灌は美濃の歌人万里集九を江戸城に招き歌会を催しました。長い戦乱が終結し、道灌はひとときの平和を楽しんでいました。 しかし、その裏では暗い陰謀が巡らされていました。関東管領上杉顕定は上杉定正をそそのかして道灌を暗…

長尾景春の乱ー4 終焉

江古田・沼袋の合戦に勝利した後、戦いの主導権を握ったのは太田道灌です。道灌は関東管領の軍勢を率いて、次々と長尾景春の軍勢を撃ち破りました。 まさに、関東管領勢の運命は、道灌が一身に背負っていたのです。道灌の活躍によって文明九年五月(1477年)…

長尾景春の乱ー3 江古田・沼袋の合戦

文明九年四月十三日(1477年)太田道灌は江戸城を出撃しました。目指すのは、豊島泰明がこもる練馬城です。道灌に従うのは、わずか五十騎の騎馬隊。道灌が江戸城内で鍛え抜いたあの精鋭部隊です。 道灌の軍勢は練馬城の前に陣取ると、豊島方を挑発しました。…

長尾景春の乱ー2 道灌ついに動く

長尾景春が挙兵した後、太田道灌は駿河から江戸へ戻っていましたが、江戸城から動きませんでした。上杉顕定が、道灌の献策を取らなかったことに対してへそを曲げていたのです。 しかし、道灌がじっとしていられない事態が起きました。豊島泰経・泰明兄弟が景…

長尾景春の乱ー1 数多くの同調者

山内上杉家の家宰を相続できなかった長尾景春は、上杉顕定に逆心を抱き、謀反を企みます。景春は従兄弟である太田道灌を謀反の仲間に引き込もうとしました。 景春から謀反の企みを打ち明けられた道灌は、一大事と思い、速やかに上杉顕定に事の次第を報告した…

長尾景春の逆心

文明三年三月(1471年)古河公方足利成氏は足利政知を攻撃するため、伊豆に軍勢を派遣しました。堀越公方の危機に際し、関東管領上杉顕定は援軍を出し、古河公方の派遣軍を三島で破りました。 三島での大勝に勢いづいた上杉顕定は、長尾景信に大軍を授け、古…

戦乱の長期化と太田道灌の台頭

長禄二年(1458年)足利政知が伊豆に居を定め堀越公方となりましたが、亨徳の乱はいっこうに終わりが見えませんでした。 関東各地では戦乱が繰り広げられていました。その多くは、武将同士の領地争いや家督相続争いでした。争っている一方が古河公方の支援を…

堀越公方 足利ブランドの凋落

太田道灌が江戸城を完成させた長禄元年(1457年)室町幕府は新たな手を打ってきます。将軍足利義政の弟を還俗させて新たな鎌倉公方とし、関東に送り込もうというのです。 新たな鎌倉公方となったのは、義政の弟で天龍寺の僧籍に入っている香厳院殿でした。香…

古河公方の誕生と江戸城完成

亨徳三年十二月(1454年)鎌倉公方足利成氏は関東管領上杉憲忠を鎌倉で謀殺、ついに亨徳の乱が始まりました。島ヶ原の合戦、分倍河原の合戦で敗れた上杉勢は、上杉憲顕、上杉顕房など大将格の武将を失い、常陸国へ敗走し小栗城へたてこもりました。 序盤の勝…

亨徳の乱勃発 分倍河原の合戦

江ノ島合戦の後、鎌倉公方と関東管領の和議は成立しましたが、両陣営の対立は深まるばかりでした。領地を失った武将の中には、勝手に他人の領地を奪う者が続出し、関東では領地争いが絶えませんでした。。 鎌倉公方の足利成氏は室町幕府から権力の制限を受け…

江ノ島合戦

宝徳元年(1449年)、足利成氏は五代鎌倉公方に就任しました。鎌倉公方を補佐する関東管領には、山内上杉家の家督を継いだ上杉憲忠が就きます。しかし、これは誰がみても危険な人事です。成氏にとって、憲忠は親の敵の息子です。両者の関係が険悪になるのは…

鎌倉公方の不在

前回までは、永亨の乱と結城合戦について話してきました。やや長い説明になりましたが、亨徳の乱を理解するためには省略することのできない出来事でした。 結城合戦の後、関東では鎌倉公方が不在になりました。そのため、関東には不穏な空気が漂います。坂東…

鎌倉公方家の悲劇(結城合戦)

永亨の乱は足利持氏の自害で終わりました。しかし、持氏の子供たちにはさらなる悲劇が待っていたのです。持氏の嫡男義久は持氏と時を同じくして自害していましたが、窮地を脱した子供たちがいたのです。春王丸と安王丸の兄弟は常陸国へ逃れました。また後に…

足利持氏の反乱(永亨の乱)

正長二年(1429年)足利義教が六代室町将軍に就任しました。将軍になるという足利持氏の野望はついえたのです。しかし、室町幕府から徹底的に無視された持氏の怒りは収まるはずがありません。次第に持氏は室町幕府に敵対するようになってきました。 持氏の暴…