歴史楽者のひとりごと

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堀越公方 足利ブランドの凋落

 太田道灌江戸城を完成させた長禄元年(1457年)室町幕府は新たな手を打ってきます。将軍足利義政の弟を還俗させて新たな鎌倉公方とし、関東に送り込もうというのです。
 新たな鎌倉公方となったのは、義政の弟で天龍寺の僧籍に入っている香厳院殿でした。香厳院は足利政知と名を改め関東へ下向しました。
 しかし、室町幕府が下したこの政策は全くの愚策でした。足利義政は時勢を読めていないのです。関東に於いては、もはや足利ブランドは凋落しているのです。足利ブランドにひれ伏す武将は誰もいません。足利成氏が関東の武将に支持されているのは、合戦に勝利する実力者であるからです。
 それに対して、昨日まで僧侶をしていた足利政知は、領地もなければ軍勢もいません。手ぶらで戦乱吹き荒れる関東にきて、いったい何をしようと言うのでしょうか?
 たとえば、領地を叔父に奪われた武将がいたとしましょう。その武将が足利政知に助けを求めたとします。政知は、その武将の言い分を認めお墨付きを出してくれるでしょう。
領地を奪われた武将は、そのお墨付きを持って叔父のところへ行き、領地を返せと云うでしょう。
 足利政知の書いた「権威ある」お墨付きを見て、叔父は領地を返してくれるでしょうか?答えはもちろん否です。「ここは俺の領地だ、悔しかったら実力で取り返してみろ」そう言うでしょう。
 しかし、武力を持たない足利政知は何もしてくれません。領地を奪われた武将は、自分の為に武力を行使して領地を取り返してくれる主君を探さなければならないのです。
 これが、この時代の関東の実状です。もはや、足利氏の権威は失墜しています。関東では武力を有して領地を守れる者だけが生き残れる世界へ移行しつつあるのです。
 やがて、この潮流が日本全国に広がり、戦国時代になるのです。武力と統治力を持つ者が台頭し、その中から信長、秀吉、家康という英雄が勝ち残っていくです。
 足利政知は関東へ向かったものの、上杉氏からも支持されず、伊豆の堀越というところに留まりました。そのため、足利政知堀越公方と呼ばれるのです。
 この堀越公方のように、何の実力も無いのに、組織から与えられた地位に居座っている人が、あなたの周りにはいませんか?
 本当に、そういう人って迷惑ですよね。