歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

道灌が築いた江戸城とはどんな城だったのか

 太田道灌が築いた江戸城とはどんな城だったのでしょうか?それを知る手がかりは道灌と同時代に生きた京五山の僧侶や文化人が書いた詩文に残されています。

 その中の一つに室町時代の禅僧にして歌人の万里集九の手による詩文「静勝軒銘並序」があります。

 その文書によると、江戸城は高い切り立った崖の上に築城され、子城、中城、外城という三つの曲輪に分かれていたそうです。三つの曲輪は飛橋によってそれぞれ結ばれていたと書かれています。飛橋とは跳ね橋のようなものなのでしょう。

 城内には5,6か所の井戸があり大干ばつの時でも水が涸れることはなかったそうです。また、城内には矢場と呼ばれる訓練場が設けられ何百人もの兵士を集めて訓練をしていました。

 城の門前には市場が設けられ賑わっていました。道灌は城内の一角に静勝軒という楼閣を建て、そこにすんでいたそうです。静勝軒から西を見れば遙かに富士山を望み、東を見れば数多くの船が海に浮かぶ様子が見えたということです。静勝軒は、現在の富士見櫓の位置に建っていたと云われています。

 道灌が築城した江戸城の位置は、現在の皇居東御苑のあたりです。もちろん徳川家康は道灌の江戸城をベースにして巨大な城郭を建設します。東御苑の中央には汐見坂という坂があります。実際にその坂を訪れてみると、そこが非常に高い台地の上であることが実感できます。今はお堀がありますが、道灌の時代には、お堀から先は日比谷の入り江でした。城は入り江に突き出た要塞でした。

 そこから江戸湾を一望し、大切な湊を守り、敵の侵入に備えていたのです。