歴史楽者のひとりごと

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品川湊の風景ー2 河口の痕跡

 かつての品川湊はどのようなところだったのでしょうか。その痕跡は現在の東京に残っています。
 地図を見ると、京急新馬場」駅の南側を目黒川が流れています。川は東へ流れ東京湾に注いでいます。
 しかし、かつての目黒川は現在の新品川橋のところで北へ蛇行していたのです。八ッ山通りがかつての目黒川の川の痕跡なのです。
 八ッ山通りを北へ向かって進んで行くと品川浦公園に行き当たります。その公園に先には屋形船などが係留されている小さな船だまりがあります。ここがかつての目黒川の河口でした。
 幕末、ペリー来航の後には、この場所に江戸防衛の為の台場が築かれ砲台が置かれました。台場は五角形の形をした人工島だったのすが、その地形がそのまま現在の街の区画に残っています。
 その区画に台場小学校があります。台場小学校のある場所はかつての砂嘴の上です。川の流れと打ち寄せる波の力で砂が堆積し堤防のように細長くのびた地形があったのです。
 このように砂嘴が発達した場所は波が穏やかで河口の湊として最適の場所だったのです。江戸湾と目黒川が出会う場所、そこが、品川湊でした。かつてこの辺りには商人の荷揚げ場や蔵が立ち並び活気ある湊だったにちがいありません。
 新品川橋のたもとには船見銀杏と呼ばれる銀杏の大木があります。この木の目の前に品川湊が広がり、多くの船が荷物を積んで行き来していたのでしょう。