歴史楽者のひとりごと

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品川湊の風景ー3 海にまつわる伝説の地

 品川湊一帯は古来から人々の暮らしがあったところです。人々は海とともに生きてきました。そこには海にまつわる伝説が伝えられています。太田道灌の時代からは、かなり離れますが、この地に伝わる悲しい伝説を紹介します。
 八ッ山通りよりひとつ東側の路地に小さな神社があります。ここは前回説明した砂嘴の付け根部分にあたります。神社の名前は寄木神社といいます。ひっそりとした境内に石碑が置かれ、神社の由来が記されています。
 それはヤマトタケルノミコトにまつわる伝説です。ヤマトタケルは父である景行天皇の命を受けて東征に出ます。大和を出て三浦半島までたどりついたヤマトタケル浦賀水道を渡って房総半島へ向かおうとします。
 海を渡り始める時にヤマトタケルは「こんな小さな海一っ飛びだ」と叫びました。不用意なこの一言が海神の耳に届きます。海神は大いに怒り、海は大荒れになってヤマトタケルの一行は房総半島へ進むことができなくなりました。
 ヤマトタケルにとって東征を果たすことは宿願でした。愛する夫の宿願を果たす為に妻のオトタチバナヒメは自分の命を犠牲にする決心をしました。
 彼女は自分の命を捧げる代わりに怒りを鎮めて欲しいと海神に申し出ました。そしてすぐさま荒れ狂う海に飛び込んだのです。姫の体が海中深く沈んでいくと大荒れの海は穏やかな海に戻りました。妻の死を悲しみつつも、ヤマトタケルは海を渡り房総半島へ辿りつきました。
 このときオトタチバナヒメの乗っていた船はバラバラに壊れその木材が品川の浜に流れついたのです。姫の死を哀れんだ浜の人たちは流れついた木材を寄せ集めて神社を作り姫の冥福をいのったのです。それが寄木神社のはじまだと云われています。
 東征を果たしたヤマトタケルは死後に白鳥となって江戸の地に舞い戻りました。ヤマトタケルは自分の為に命を犠牲にしてくれた妻のことを決して忘れてはいなかったのです。