歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

2018-01-01から1年間の記事一覧

品川湊の風景ー1 天妙国寺

鈴木道胤の手がける商売は多岐にわたっていました。海運業を手始めに、倉庫業、貸金業などを営み莫大な利益をあげていたのです。 道胤などの大商人は、獲得した富を盛んに寺社に寄進しました。このような人々を有徳人と呼びます。彼らは商売繁盛と海上交通安…

品川湊の商人

太田道灌には経済戦略を手助けしてくれるパートナーがいました。それが商人の鈴木道胤です。 道胤の鈴木家はもともと熊野の出身であるといわれています。西国の産物を海路で関東に運び、売りさばくことで莫大な富を稼いでいたのです。 太田道灌は鈴木道胤と…

道灌はファンドマネージャー!?

享徳の乱の勃発が太田道灌に活躍の機会を与えました。ただし、道灌の置かれたた立場は、関東管領の傘下にいる扇谷上杉家の家宰として主人の命令に忠実に従うというものでしかありませんでした。 荘園への介入 江戸城築城後、道灌は扇谷上杉家の勢力を南関東…

太田道灌とはどんな人だったのか

太田道灌の人物像を話す前に、この時代における関東の支配体制を説明します。関東の頂点に立つのは鎌倉公方です。これは足利尊氏が室町幕府を創設した時に、関東十カ国(上総、下総、安房、上野、下野、武蔵、相模、常陸、伊豆、甲斐)を支配するために作っ…

道灌が築いた江戸城とはどんな城だったのか

太田道灌が築いた江戸城とはどんな城だったのでしょうか?それを知る手がかりは道灌と同時代に生きた京五山の僧侶や文化人が書いた詩文に残されています。 その中の一つに室町時代の禅僧にして歌人の万里集九の手による詩文「静勝軒銘並序」があります。 そ…

江戸城を築いた武将 太田道灌

長禄元年(1457年)太田道灌が江戸城を築きました。家康が江戸幕府を開く約150年前のことです。城の場所は現在の皇居東御苑のあたりです。その当時このあたりは日比谷の入江という浅い海に面した場所でした。上から見ると矢じりのような形をした台地が海に突…

徳川家康が来る前の江戸

2020年にオリンピックが開催される東京。信濃町のメインスタジアムも徐々に姿を現してきました。世界中から観光客の方も大勢訪れていらっしゃいます。東京には江戸城跡をはじめとして名所旧跡も色々あります。 そこで今回は東京の歴史について楽しみたいと思…

はじめに

こんにちは、歴史楽者の「とも」です。この字の通り歴史を楽しむ者であり、歴史学者ではありません。歴史学者の先生方がかかれた文献や歴史小説などを読んで感じたことや、歴史的な名所旧跡を訪ねたことをブログに綴っていきたいと思っています。 どうぞよろ…