歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

天空の異変を記録した日記「明月記」

 775年に起きた天空の異変は、歴史と天文学のコラボレーションによってその謎が解明されました。
 さらに、日本の古文書には宇宙で起きた天文現象を記録したものがあり、天文学の世界で大きな注目を浴びました。
 その古文書とは、鎌倉時代に活躍した歌人藤原定家が書いた日記で国宝の「明月記」です。藤原定家といえば、歴史の教科書には新古今和歌集の撰者として登場しますが、天文学の世界では「明月記」の作者として有名です。
 有史以来、人類が肉眼で目撃した超新星爆発はわずか8件ですが、明月記にはそのうちの3件の超新星爆発のことが記載されています。世界的にみても、ひとつの古文書の中に三つの超新星爆発の記録が記載されているのは非常に珍しいことなのです。
 明月記に書かれている超新星爆発は、1006年の超新星(おおかみ座超新星残骸)、1054年超新星かに星雲)、そして1181年の超新星カシオペア座超新星残骸)の3例です。
 藤原定家は1162年に生まれ1241年に亡くなっています。定家が生まれる前の超新星の記録が日記に書かれているのはちょっと変ですが、それには理由があるのです。
 寛喜二年(1230年)10月に客星(おそらくは彗星)が現れました。天文学が発達する以前、日本では夜空に突然現れた見慣れない星のことを客星と呼びました。客星は吉凶の前兆です。定家は客星に興味を持ち、過去に出現した客星のことを陰陽師の安部泰俊(安部清明の6代目の孫)に調べさせました。そして、その結果を明月記に記載したのです。そのため、定家が生まれる以前の事象が明月記には書かれているのです。
 定家が明月記に記録した超新星爆発は、現代の天文学の分野においても大きな注目を浴びるような事象でした。
 まず、1006年に起きた超新星爆発は、現在判明している超新星爆発のなかで人類が目撃した最も明るい超新星爆発だと考えられています。
 明月記には次のように書かれています。
「一條院 寛弘三年四月二日 癸酉 夜以降 騎官中 有大客星 如螢惑」大意は、西暦1006年5月1日、おおかみ座の方向に明るい客星が現れ火星のようだった、ということです。
 1054年超新星爆発については、1934年に日本のアマチュア天文家の射場保昭氏が、明月記の記録を英国の天文誌に紹介したことがきっかけで、著名な天文学者であるヤン・オールトの目にとまり、かに星雲として知られていた天体が1054年に現れた超新星爆発の残骸であることがわかったのです。まさに、歴史と天文学がコラボレーションして宇宙の謎が解明されたのです。
 1054年超新星の記述は次の通りです。
「後冷泉院 天喜二年四月中旬以降丑時 客星觜参度 見東方 はい天関星 大如歳星」大意は、西暦1054年5月中旬以降、午前二時頃にオリオン座とおうし座付近に客星が現れ大きさは木星のようであった、ということです。(Wikipedia 明月記より参照)
 藤原定家の明月記が天文学者に注目されたのは、超新星が出現した日付や夜空での位置が詳細に記載されているからです。
 定家が記録してくれた情報をもとに、かに星雲を観測することで、現代の天文学者は爆発してから964年後の超新星の姿を見ることができ、超新星爆発のメカニズムについて詳しく研究できるのです。
 ところで、歴史学者本郷和人先生が日経新聞の土曜日版に書かれいる記事「日本史ひと模様」によると、平安時代鎌倉時代の公家が書いていた日記は、現在の我々が書いている日記とは趣が異なっていたそうです。
 現在我々が書いている日記は、おおむね自分の内面と向き合い、嬉しかったことや悲しかったことが記載されているのではないでしょうか。そして、その内容は他人には見せたくないものだと思います。
 ところが、平安時代鎌倉時代の公家が書いていた日記は、他人に読ませるための日記だったというのです。日記に書かれていたことは、宮中の儀式や行事の手順や式次第の詳細な内容です。
 その目的は、公家が携わる儀式や行事の手順や式次第を子孫に伝えることで、子孫が儀式や行事を要領よくこなし、それによって「あの人は優秀だ」とういう評価を得て出世するための引継書・手順書だったのだそうです。そのため、公家の日記に書かれている事は、事実に則しており、歴史的な資料としての価値が高いのだそうです。
 藤原定家もせっせと子孫の出世ために日記を書いていたのです。まさか、その日記が700年後に天文学の分野で大いに注目されるとは、定家自身も思ってもみなかったことでしょう。
 このような定家の生活の様子をみると、鎌倉時代になったとはいえ、京都では依然として天皇を中心とした貴族社会が残っていたのだということがよくわかります。つまり、鎌倉時代とは、東国の武家政権と西国の天皇政権が並立していた時代だと考えることができるのです。

 さて、太陽系のある銀河系で最後に超新星が出現したのは1604年のことです。それ以降、銀河系では超新星が現れていません。ひとつの銀河で超新星が現れるのは百年に一度くらいと言われています。いま生きている私たちが超新星をみる機会はあるのでしょうか?オリオン座のベテルギウス超新星爆発を起こす間近の星であるそうです。私が生きている間に爆発してくれればいいのですが。

※補足
 超新星爆発について、簡単に説明しておきます。超新星爆発には、非常に大雑把に分類すると二つのタイプがあります。
 ひとつは、重力崩壊型の超新星爆発で、太陽の重さの8倍以上の恒星が一生の終わりに、自らの重さを支えることができなくなり大爆発してしまう現象です。爆発のあとには中性子星ブラックホールが残るのです。1054年超新星と1181年の超新星はこのタイプです。
 もうひとつのタイプは、太陽の重さの8倍未満の恒星が一生を終えたあとに、再び復活して暴走的な核爆発を起こす現象です。天文学ではこのタイプをIa型超新星と呼びます。Ia型超新星は太陽のような恒星が連星系をなしている場合に起きます。連星の片方が先に一生を終えて白色矮星になると、もう一方の星から白色矮星にガスが降り積もります。そして、白色矮星の重さが太陽質量の1.4倍になると核反応の暴走が始まり大爆発を起こすのです。1006年の超新星はこのタイプです。

今回参考にさせて頂いた文献
ISASニュース 2005年6月No.291掲載「宇宙のヒットメーカー超新星残骸かに星雲

ISASニュース 2006年06月No.303掲載「今年のミレニアムスター」

アストロアーツ「明月記の超新星記録を
世界に紹介した射場保昭」

日本経済新聞 2018年7月28日朝刊「日本史ひと模様 本郷和人