歴史楽者のひとりごと

こんにちは、歴史を楽しむ者のブログです。

775年のミステリー 日本の古文書に記録はあるか

 歴史を楽しむ者のブログ、今回のテーマは歴史と天文学のコラボレーションです。
 西暦775年(宝亀六年)天空に大異変が起きました。地球に大量の宇宙線が降り注いだというのです。ヨーロッパや中国の古い書物には、この天空の大異変の事を記したと思われる記述があるそうです。
 日本では奈良時代後期の頃ですが、果たして日本の古文書には、この天空の大異変が記録されているでしょうか?これが今回のテーマです。
 西暦775年、いったい宇宙で何が起きたのでしょうか。この天空の大異変は「西暦775年のミステリー」と呼ばれています。2013年にはNHKBSプレミアムの科学番組「コズミックフロント」で紹介されました。
 まずは、この番組の放送内容に基づいて「西暦775年のミステリー」のあらましをお話します。
 2012年、当時名古屋大学の学生だった女性が、博士論文の為に屋久杉の年輪に含まれる炭素14の濃度を調査しました。彼女は、樹齢千年とも言われる屋久杉の年輪を1枚づつはがして丹念に調べたのです。
 その結果、驚くべき事がわかりました。西暦775年の年輪には、自然界にはほとんど存在しないはずの放射性炭素14が大量に含まれていたのです。
 この調査結果が発表されると、世界中の天文学者たちが色めき立ちました。何故なら、炭素14は宇宙から飛来する高エネルギーの宇宙線が、地球の大気分子と衝突して作られるからです。
 いったい、775年に宇宙で何が起きて、炭素14が急激に増えたのでしょうか?天文学者たちの謎解きが始まりました。
 そして、天文学者たちは、宇宙で起きる現象の中で、高エネルギーの宇宙線を発生させる現象を絞り込んできました。それは次に示した三つの現象です。
超新星爆発
 太陽の8倍以上の重さを持つ恒星が、一生の終わりに大爆発を起こす現象。爆発によって大量の宇宙線が放射される。また白色矮星と恒星の連星系でも超新星爆発は起きることがある。
ガンマ線バースト
 太陽の40倍以上の重さを持つ恒星が超新星爆発を起こした時に、強力なガンマ線を発射する場合がある。宇宙で最大のエネルギー現象。古生代の生物の大量絶滅を引き起こした犯人の候補でもある。
③太陽のスーパーフレア
太陽表面で起きる爆発現象。爆発と同時に大量の高エネルギー粒子が放出される。地球ではオーロラが発生したり、磁気嵐が起きる。

 いったい、775年に宇宙で起きたのは、どの現象だったのでしょうか?その謎を解き明かす鍵は、歴史書の中にあったのです。
 「アングロサクソン年代記」は古代イギリスの歴史を記した古い書物です。この書物の中には興味深い話が載っています。
 西暦774年、戦いが起きた時に空には赤い十字架が現れ、大地には見事な蛇が現れたのだそうです。
 また、古代中国で編纂された旧唐書には、夜東の方角の月の上あたり、ぎょしゃ座からふたご座、うみへび座にかけて10あまりのまるで絹のような光沢のある白い光の帯が現れたという記述があるそうです。
 どうやら、これらの書物に書かれている天空の異変は、古代の人々が見たオーロラのことを言っているようなのです。
 そして、調査が進むと、ヨーロッパや中国にはまだほかにも775年頃にオーロラが見えたという伝承がいくつも残っているのでした。
 このことから考えると、775年に宇宙で起きた現象は巨大なスーパーフレアであるとの結論が出たのです。太陽表面で巨大な爆発が起こり、大量の高エネルギー粒子が放出されたのです。地球に飛来した高エネルギー粒子は大気中の窒素や酸素と衝突して光を放ちオーロラが出現するのです。
 通常の太陽フレアが起きた場合は、地球の極地方でしかオーロラを見ることはできませんが、スーパーフレアが発生した時は緯度の低い地域でもオーロラが見える場合があるのです。
 そして、775年におきたスーパーフレアは人類史上最大のフレアだと考えられています。もしも、この時と同じ規模のスーパーフレアが現代に起きると、人工衛星が破壊され大規模な停電が発生し、IT機器は故障するという大惨事になるそうです。
 さて、前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。775年に起きた天空の異変は、イギリスや中国の書物には記録されていました。
 では、日本の古い書物には、この異変が記録されているのでしょうか?
 775年と言えば、日本では奈良時代の後半です。このとき既に国史の編纂は始まっていました。672年、壬申の乱に勝利した天武天皇は、日本書紀の編纂を命じていました。
 日本書記に書かれているのは、神代の時代から持統天皇の時代までの歴史です。その後、文武天皇から桓武天皇までの歴史が書かれているのが続日本記です。つまり775年の出来事は続日本記に書かれているのです。
 そこで、私は続日本記の原文をネットで検索し内容を調べてみました。するとどうでしょう、宝亀六年(775年)五月丙午に「白虹竟天」という記述があるではありませんか。
 竟という漢字には「わたる」や「はしまでとどく」という意味があります。そうすると「白虹竟天」という文章は、天空を横断するような白虹が見えたという意味になるのです。
 白虹とはいったい何でしょうか。白虹についてネットで調べたところ、次の三つの現象を意味していることがわかりました。
①霧虹
 霧によって太陽の光が散乱され、白い光の輪が見える現象。朝や夕方など太陽の光が横から射してくる時に低い位置に見える。ブロッケン現象もそのひとつ。
②暈「かさ」
 太陽や月の周りに丸い虹が見える現象。それほど珍しい現象ではない。
③月虹
 夜に月の光で生じる虹。かなり珍しい現象。
 この三つの現象のうち続日本記に書かれている「白虹」とは、どれなのでしょうか。「竟天」=「天空を横断するような」という続日本記の表現から考えると、白虹が意味している現象は霧虹や暈ではないと思います。
 そうすると白虹が意味している現象は月虹ということになります。もし、夜に月の光で虹が見えたとしたら、それは非常に珍しい現象ですし、続日本記に書かれていたとしてもおかしくはありません。
 しかし、白虹は本当に虹だったのでしょうか?夜空に突然現れた、天空を横断するような光の帯を見て、奈良時代の人々が虹という言葉以外で表現できなかっただけではないでしょうか。それは、本当はオーロラだったのかもしれません。
 前述した旧唐書では「絹のような光沢のある白い光の帯が現れた」と記述されています。この表現と「白虹竟天」という表現は非常によく似ていると私は思います。
 ですから、私は白虹がオーロラであった可能性は十分あると思います。通常ではオーロラが本州で見えることはありません。ただし、太陽がスーパーフレアを起こせば、本州でもオーロラが見える可能性があるのです。最近の研究では、鎌倉時代に京都でオーロラが見えたことが藤原定家の明月記に記載されており、それが真実であると科学的に証明されているのです。
 ましてや、775年に起きたのは人類史上最大のスーパーフレアです。ヨーロッパや中国など北半球の広い地域でオーロラが見られているのですから、日本で見えたとしても不思議ではないのです。そして、我々日本人のご先祖様が、そのオーロラのことを記録に残していたとしたら、こんなに誇らしいことはないではありませんか。
 ですから、私は希望を込めて「白虹竟天」は天空を横断するように現れたオーロラであると信じたいのです。

 余談ですが、続日本記には、誰それに位を与えたとかいう政治的な記録が多いのですが、珍しい出来事や天変地異の記録も数多く記載されていますので、宝亀五年から六年頃の記述で印象的な出来事をいくつかあげておきます。
宝亀五年正月乙丑
 山背の国では、狼や鹿や狐が百匹ほど現れて夜な夜な鳴いたり吠えたりしたが、それが7日間続いた。

宝亀六年四月乙亥
 近江の国で赤い目をした白い亀が献上された。

宝亀六年四月丁丑
 山背の国で白い雉が献上された。

宝亀六年八月癸未
 伊勢・尾張・美濃の三国で暴風雨が起こり、農民三百人と牛馬千頭が水に流された。寺や家屋が多数倒壊した。

宝亀六年十月辛酉
 日蝕が起きた。
以上