歴史楽者のひとりごと

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足利持氏とくじ引き将軍

 鎌倉公方関東管領の対立が激化したのは四代鎌倉公方足利持氏の時でした。応永十七年(1410年)足利持氏が四代鎌倉公方に就きました。この人は大変な自信家でした。「いつか室町将軍になり天下に号令するのだ」という野望を抱いていたのです。
 しかし、現実には室町将軍になれるのは足利尊氏の嫡男である義詮の血筋を引く者だけでした。鎌倉公方は尊氏の六男である基氏の血筋です。持氏が室町将軍になるのは、どだい無理な話でした。
 関東管領の上杉憲実は、そんな持氏の考えをいつもたしなめていました。彼は持氏が無謀なことを起こして室町幕府から詮議されることを恐れていたのです。
 ところが、その無理な話が通りそうな事件が起きたのです。応永三十二年(1425年)五代将軍足利義量が19歳の若さで死んだのです。義量には子がいなかったので将軍の跡継ぎが空白になったのです。
 この事態で俄に色めきたったのが鎌倉公方足利持氏でした。将軍の跡継ぎになるべく盛んに活動を始めたのです。義量の父、四代室町将軍足利義持は健在でした。持氏は自分が義持の猶子になって将軍位に就くことを望み義持宛の嘆願書を送り出したのです。
 しかし、持氏の嘆願書が義持に届くことはありませんでした。持氏が出した嘆願書は全て幕府の側近によって握り潰されていたのです。もっとも、義持のもとに届いていたとしても相手にされなかったでしょう。義持自身も後継者を誰にするか考えている様子はありませんでした。義持はこの時40歳代でまだこれから子供ができ、その子を将軍に就けようと考えていたようです。
 ところが、義持もまた急死してしまいました。当然、将軍を誰にするか遺言など残していません。困ったのは幕府の側近たちです。仕方なく、義量の兄弟で僧籍に入っている4人のなから、くじ引きをして将軍後継者を決めることにしたのです。
 こうして選ばれたのが、「くじ引き将軍」と呼ばれた六代将軍足利義教です。この事態の成り行きを、はらわたが煮えくり返る思いでみていたのが持氏です。

 ところで、六代将軍足利義教が選ばれた「くじ引き」は八百長であったという説があります。その顛末は、現在日経新聞で毎週土曜日に掲載されている「日本史ひと模様」という記事に載っています。この記事を執筆されているのは、本郷和人先生です。
 非常に面白い話ですので、興味のある方は是非お読み下さい。平成30年7月7日~7月28日の日経に掲載されています。